おとこもすなるにっきといふものをおんなもしてみむとてするなり。
古典や日本史の授業で「土佐日記」という言葉に触れたことがある人もいるだろう。内容は知らなくてもこの冒頭の一文で、「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」という解釈から紀貫之が女性の立場に立って書いた、という今で言えばネカマブログみたいなもので記憶に残っているに違いない。
ところがこれに新解釈が最近くわえられた。
この時代、文字には濁音をつけなかったということ、「してみむ(してみる)」という言葉の使い方はしてなかったということ、このふたつからもう一度、冒頭の文を読むと、
おとこもすなるにっきといふものを おんなもしてみむ とて するなり。
ではなくて
おとこもすなるにっきといふものを おんなもし て みむとて するなり。
と読める。
つまり「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」ではなく「男もすなる日記といふものを、女文字で見むとて、するなり」
ネカマ疑惑晴れたー!?
もともとなぜ紀貫之が女性の振りをして書いたのか謎だったらしい。
1000年ぶりに新しい解釈をされた土佐日記。
「男が女性のつもりで書いた」という事実が「男が女文字(ひらがな)を使って書いた」という事実になって一体なにがどう変わるの? と思われる方もいらっしゃるでしょうが、書き手としてはぜんぜん変わるんですよ。
いや、1000年も前に男性が女性視点で書いたっていうアバンギャルドな事実がなくなってしまったって、これは日本文芸界にとってかなりの重大事件だと思いますよ?
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