小松左京「SF魂」「日本沈没」吾妻ひでお「うつうつ日記」飯塚 訓「墜落遺体」コミケカタログ購入。
小松左京は大学生の頃よく読んだなあ。かなり影響された。考え方もだけど文章も。読みやすくテンポがいい。わたしの小説にダッシュやリーダーが多いのは小松左京のせいかもしれない。長編よりは短編が好きだった。長編で読んだのは「日本沈没」「見知らぬ明日」「こちらニッポン……」「果てしなき流れの果てに」「首都消失」。
でも内容を覚えているのは「沈没」と「ニッポン」だけだったりする。
SF魂
小松 左京
SFの創世記とSFが熱く燃えていた時期を体験、作り上げた著者の迫力に満ちた回想。小松左京のように小説を書いて生きていけたら楽しいだろうなあ。そういえば私は子供の時からSF漫画や小説に親しんでいたけど、オタクになったのはたぶんスターログが創刊された頃、意味もよくわからずそのかっこよさとこう、なんだかもやもやとする心地いい流れに身をまかせた結果だ。SFが一番力を持っていた頃だったのだから、ある意味、不可抗力である。
日本沈没はカッパノベルス版を持っていたはずなんだけどどこへいったかわからないので小学館文庫を再購入。これから再読しよう。そしてうまうまと小松左京ブームがわたしに到来。「復活の日」と「さよならジュピター」を買いに行ってしまうのは明白だ。
うつうつひでお日記
吾妻 ひでお
「うつうつ日記」は最初の数ページの描き方がよみにくい。たんたんとしたメモのような日記だが、最後に著者が持ち込んでいた「夜を歩く」という原稿が「失踪日記」となったことがわかると、その出版の過程を知りたくなってもう一度読み直してしまった。
白夜書房から他社の出版物の売れ行きが悪くて本にならなかったこと、イーストプレスから連絡がきてたけど気づくのが遅れたことなど日常の隙間にぽんぽんと描いてある。
白夜は営業の力が強いから他社で成績が悪かったらまず出してくれないだろうけど、出していればいまごろ……と歯がみしたことだろう。このうつうつ日記を読んで白夜の上層部が悔しがるかもしれない。いいかげん、ニッパントーハンという大手流通会社も、数字だけでなく、中身を見るようになればいいのに。
そういえば読売新聞に「賞に入賞したはいいが本が売れなくて結局また別な賞をとる」という漂流作家が増えていると書いてあった。賞をとる力はあるのに出版した本が売れない。でも賞を取る、ということは読む力のある人や編集が面白い、と思ったはずだ。だから2冊や3冊の売れ行き不振に耐えて作家を育てるべきなんじゃないかと思うが、最近の出版社はいますぐ売れる人が欲しいのだ。賞を取る、本が売れる、シリーズ化する、アニメやドラマや映画やグッズになる、こういう一連の流れを編集も出版社も、たぶん作家も願っているのだ。で、売れてどんどんシリーズをかかせてつまんなくなっていて、作家も別なもの書きたくても書かせてもらえなくてつまんなくなって、で、かげりが見えてくるとようやく新作が出て、それが売れなかったらあっという間に忘れ去られていく。
この方式は角川春樹が元気だったころの角川書店のやり方で、大騒ぎしてフェアをやったあと、まるでその作家はいなくなったかのように思えてしまう手法だった。
まあこんな片隅で書いていても売れない作家の愚痴のようなものだが、わたしの作品ももうちょっとなー、売り方をなー。玄人受けはするらしいんだけどなー(笑)。「函の中の楽園」はやっぱりティーンズルビーじゃなくてスニーカーで出して貰いたかったなあ……。
「墜落遺体」は夜中の3時過ぎに2、3ページ読んだらひきずりこまれて眠れなくなりそうだったので、もう少し体力のあるときにまたゆっくりと。コミケカタログもね。
ああ、コミケカタログは南国のビーチでチェックしたいというのが長年の夢なのだ……。