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ほとびるその後

ひきつづき言葉の話しだが。
「ほとびる」という言葉を使いたいのだがどう使っていいのかよくわからない。おそらくわたしが「ほとびる」という状態をちゃんと理解していないからだ。
前回あげた辞書の例ではお麸がふやけてもほとびると使っていいみたいに読み取れるし、実際グーグルで検索すると「ほとびた高野豆腐から、出汁が溢れて来る」と使用している。
しかし「ほとびた水死体」とか使ってはいけない気がする。

これはたとえば似た言葉の「ひなびた」を例にするとわかりやすいだろう。
「ひなびた」は辞書でひくと「田舎びる」「田舎臭くなる」というそっけない意味だ。しかし「ひなびた風景」と言われて目の前に浮かぶ光景と「田舎臭い風景」と言われて浮かぶ光景は違うと思う。
だから「ほとびる」ももっとこうなんかな……


 ひと雨ごとに春がくる、と言われるが、本当に暖かくなった。確実に季節は移ろっているようだ。風はまだ冷たいが日差しは日に暖かく、柔らかくなる。
 もっとも最近はくしゃみや目のかゆみで春の訪れを知るものも多いようだが。
「お前もそうだったよな」
 涼島は墓の前にぬかづき話しかけた。
「くしゃみをしては春が来た、って大騒ぎして」
 墓石はこの雨に洗われて黒く光っていた。故人の好きだった白い薔薇を供え、もの言わぬ石に顔を映しこむ。
「向こうでは穏やかにすごしているんだろ」
 涼島の髪にも薔薇のとげにもやわらかに春の雨が降る。細かな霧雨は涼島の睫毛をしめらせた。
「竹本……」
 この石の中になんて恋人はいない。そう思って墓参りにも長い間こなかった。でも最近は違う。竹本はどこにでもいるのだ。勤務先の病院にも、雑踏の中にも、表情のない墓石の列の中にも。
 思えば、彼はそこにいる。
 墓石の上で長い足を組んで自分に微笑む恋人の姿さえ思い出せる。
 そう思うと涼島の目に雨だけでない、暖かな雫が浮かんだ。
「まなぶ……」
 じゃり、と小石を踏む音がして、ふりかえらなくても佐久間だとわかった。
「なんだ、こないって言ってたじゃないか」
「浩二がまなぶを泣かせているような気がして」
 佐久間は大きな体をかがめて涼島の隣にしゃがんだ。佐久間は竹本のいとこだ。そして今涼島と共に生きている人間だ。
「泣いてないよ」
「うそつき」
 佐久間はさっと涼島の顔からメガネをうばった。
「ほら、目の下が赤い」
 そう言うと親指でしずくをぬぐう。
「こら、メガネ、返せ」
 照れくさくてとがらせた唇の先に、ぽつんと柔らかいものが触れた。ぼやける視界で見ると白い薔薇のつぼみだ。春の雫にほとびた丸いつぼみ。
「助手席に落ちてた」
 佐久間は薔薇を花立てにいれた。
「まあ、浩二にすねてるって思われるのもいやだし」
神妙に手をあわせる。
「まなぶは俺が守るからってひとこと言っておいてもいいだろ」
「ふふ」
 涼島は立ち上がるとメガネをかけ直した。クリアな視界に晴れ間が見える。
「行こうか、洋平」
「うん」
 竹本の墓にも青空が映っている。雨はあがった。涙は、でも、この先もあふれるだろう。それでも。
 優しい指先で、唇で、涙をぬぐってくれる相手がいるから。
(僕は生きていく。生きていける)
 涼島は佐久間の手をとる。
 一緒に生きていくために。


はああ~。ほとびるがだせないかとおもった。
えーと、『君に溺れる』番外編ということで。
まあ、こんな雰囲気。

あ、エロにも使えるんだよね、
「じらされて待ちきれず、みずからほとびたその場所を指先で開き……」
時代劇なんかにいい感じ!

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2006年03月04日 21:17に投稿されたエントリーのページです。

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