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2003年12月 アーカイブ

2003年12月07日

ファーストガンダム1


 ──人類が増えすぎた人口を宇宙へ送り出してからすでに半世紀が過ぎた
 ──あるいは──宇宙世紀0079、宇宙都市サイド3はジオン公国と名乗り地球連邦に
 独立戦争を挑んだ──

 これらの有名なナレーションで始まるアニメ・機動戦士ガンダム、
 ファーストガンダムと後に呼び習わされるアニメが始まって24年。
 いまだそのドラマ性は古びず、常に新しい感動を呼びつづけている。

 何がはじまったかというと12月の土曜日3回にわたってTV放映されたファーストガンダムのマラソンオールナイトなのだ。
私がこのアニメに出会ったのはもうすでにけっこうな人格が確率されてからだったが、衝撃は激しかった。
こんなアニメ見たことないと思った。何処がどう違うのかわからなかったがはっきりと違うと思った。確実に何らかの影響は与えられていると思う。

池袋・新文芸座で毎回13話ずつ3週にわたってオールナイト上映されるガンダム、観客は意外と20代~30代の女性が多い。グループや二人づれも多い。もちろん男性客は半数以上占めたが、座席にはまだゆとりがあった。思えば20年前、ガンダムが映画上映されたときは初めてアニメ映画で観客の徹夜組が出たというのに。
オールナイトはなんの前置きもなく、いきなりTVのオープニングが始まった。たんたんと進行される30分アニメだが、回を追うにしたがって1話1話が長く感じられるようになる。話が濃くなる。
今回13話までの中で特筆すべき回は「戦場は荒野」「時間よ止まれ」

「戦場は荒野」はサイド7から地球へ逃げてきたホワイトベースが、敵の戦力圏内のグランドキャニオンを進行中、希望した難民を数名地上に下ろす話だ。追ってくるジオンに一時休戦を申し入れ、難民を輸送機で下ろすが、その輸送機には実はガンダムも入っていた。
ホワイトベースとガンダムで敵をはさみうちにする作戦があったのだ。
降りた難民のうちある親子が他の難民と別れ別な道を行く。途中まで偵察でついてきていたジオン軍の戦闘機は、その親子が気になって追いかけていく。ガンダムはガンダムで戦闘機が親子を襲うのではないかと追いかけていく。だが、戦闘機は親子に救援物資を下ろし、去っていった。ガンダムを操るアムロは戦闘機がガンダムに気づくな、気づくな、殺したくないんだと祈る。しかしガンダムの反射光に気づいた戦闘機は戻ってきてしまい、ガンダムに破壊される………

まあこのあとはザクも出てきて戦闘になっちゃうんだけど、撃ち落とされた戦闘機の兵士が生きていたときはほっとした。ガンダムなら絶対死んでる展開だろうと思ったからだ。負傷した兵士は救援物資を送った親子に助けられたりもする。
見てて思ったのは結局武器や軍などなければひとりひとりの人間に敵・味方などないのだということ。先ごろイラクでテロ行為で日本人が亡くなったというニュースがあったが、毎日毎日あそこでは市民が、そして熱意のある人々が、あるいは送りこまれて仕方なく駐在している兵士が死んでいる。でもテロ行為を行う人々も武器がなければ、大儀がなければただの気のいい人々なのだろう。当たり前のことなのだが、その当たり前のことを忘れてしまうのが闘いであり、戦争であり、憎しみなのだ。

「時間よ止まれ」は全く覚えてなかった、というかもしかしてみてなかったかも。
これもエピソード的な話で、出だしが前線で腐っているジオンの兵士から始まる。これが新鮮。ジオン軍の若い兵達はなんとか本国サイド3へ帰りたくてたまらない。でも帰るには何か手柄を立てなきゃならなくて、そこで彼らはガンダムの破壊を考える。彼らはガンダムをザクでおびき出し、あとはむきみで近づいて爆弾をとりつける。
アムロはむきみの彼らを撃てない。アムロが破壊するのはザクであり、戦闘機であり、彼はその中に人間がいるとは考えない。だからむきみで近づく兵を撃とうとすると手が震えてしまう。まあこの話の前にイセリナに「ガルマ様の仇!」とか言われて銃向けられたり、母親の目前で敵を撃って「そんな恐ろしい子に育てた覚えがない」と責められたりしたという伏線があるが、基本的にアムロは人を平気で殺せるような人間ではない。
で、ガンダムにとりつけられた爆弾は5つ。30分で爆発するので、ジオン兵たちは離れたところからそれが爆発するのを見守っている。そしてアムロがその爆弾をひとりで外そうとするのを面白がり、反面、期待したりしている。
4つまでは順調に外せたが、最後の一つがガンダムが地面に接している部分にあって、アムロは必死で土を掘り始める。それを犠牲者は少ないほうがいいと、HBから見守っていたクルーたちは、我慢できなくなり、泣きながら飛び出して、みんなでガンダムを動かし、爆弾を積んで車を走らせる。
結局爆弾は離れたところで爆発する。ジオン兵たちはがっかりしつつも爆弾をひとりで外したアムロに興味を持ち、民間人の振りをして顔をみにいく………

見終わった後、エンディングを見てたら脚本は富野監督だった。
そーか監督だからこんな好き勝手な話が作れたのか。と、納得。
こういうエピソードがはいるからこそ、ガンダムは他のロボットアニメと一線を画しているのだろう。

2003年12月11日

鉱物ショー


 サンシャインで「国際化石鉱物ショー」が3日間開催されるというので行ってきた。
 ショーといっても鉱物・化石の展示即売も兼ねている。
 しかし、おそらく商売ではなく、好きで集めているんだろーなという出品店はどこかコミケの匂い
 がする。
 石という美しくて不思議で複雑なものにとりつかれる気持ちはわかる。
 自然のものは全て美しくて不思議で複雑なものなのだが、石は見た目ではわからない部分もあ
 る。
割ってみて、もしくは削り出して、あるいは掘ってみてはじめて見つかるというのが
「私だけの!」という部分で興奮を呼ぶのだろう。
それはあたかも神田の古書店街でついに出会った!と古書を手に叫ぶのと似て………ないか。
私も自分のブラウザに鉱物・恐竜などのお気に入りをいれている人間である。いつかはカナダのバーチェス博物館へ行きたいと願っているし、カンブリア生物のフィギュアなら集めてもイイかなと狙っている人間だ。三葉虫がぎっしりつまった化石などをみるとぞくぞくする。
残念ながらカンブリア紀生物の出品はなかったが、生物の化石もかなりあってけっこう楽しめた。
特筆すべきはグリプトドンの化石。
グリプドトドン
 こんなでかいアルマジロがのそのそ歩いてた大地を想像するだけで楽しい。
 自重で動くのもたいへんだったろうに、生息できるだけののんびりした世界だっ
 たのだろう。
 残念だったのは目玉である「鉱物ツリー」だ。鉱物ツリーってからには木の
 部分も鉱物で構成してほしかった。鉱物が吊り下げられているだけでは鉱物
 ツリーではないだろう。

ニッポニテス

今回はじめた知ったものの中に、巻きが異常なアンモナイトというのがあった。貝の形にうずまいているじゃなくて諸星大二郎の描くような異様な形のアンモナイトだ。主に日本・それも北海道で多く出土するというそれは、日本天然記念物だった朱鷺が、学名が「ニッポニア・ニッポン」という誇らしい名前であるのと同様、「ニッポニテス属」と属名がつけられている。
どうも異形な形に惹かれるようである。このニッポニテス属のびっしり載ったパンフレットをマクドナルドでグラコロバーガーを食べながら眺めている女というのはちょっとイヤかも。


2003年12月14日

ファーストガンダム2


 いってきました。ガンダムオールナイト。
 今回は「ククルス・ドアンの島」から「ジャブロー」まで。

 しかしガンダムは本当に戦争の進行をていねいに描いたもんなんだよなあ、と感心。
 そして進行にしたがってクルーは疲れ果て、見ている側もつらくなっていく。
 主人公であるアムロが自分を認めてくれないブライトに反発して船を下りたり、
 マチルダやリュウが死んだり、ランバ・ラルやミハル、マ・クベ、黒い三連星、
 エピソードは飽きさせず盛りだくさんなんだけど、この日々は辛く苦しい。
ロボットアニメである以上、ロボット同士の闘いに爽快感を味わいたいが、それをうわまってあまりある辛さだ(笑)。
ところで「ドアンの島」は話はともかく作画が酷い。あまりにもおそまつ。どのくらい酷いかというとキャラクターは水で薄めた「アパッチ野球軍」だし、動きは72枚は動画を抜いただろというぐらい動かないし(根拠無し)、青田さんおすすめのせっかくのザク同士の闘いも紙芝居になっちゃってるし………。
もっとも作画の人の名前は見た事も無い人だったから外注なんだろうなあ、この回。
そのあとからはほとんど安彦・中村作画だったから安心して見られたけど。
安彦作画の時のアムロのすねた目つきといったら絶品ですね。中村作画は全体的に落ちついて上品な感じ。優等生タイプ。UPが多かったりすると安彦さんかなとか思う。表情で演技できる作画監督ですよね。

この15話から30話くらいまでの見せ場はいくつもの死だ。
リュウを失ったブライトの嘆き、ほとんどが自分より年下のクルー達の中で、唯一同じ年で同じ軍関係で、いろいろと相談し、頼ることのできた相手を失ったブライト。過労から倒れてしまって夢の中でリュウを呼ぶ彼もまだほんの子供なのだ。
そしてマチルダ。赤毛で年上の美女・マチルダに思いを寄せるアムロ。少年のドキドキ感が画面の中から伝わってきて微笑ましい。戦場の中で唯一アムロに希望とときめきをくれた人だったのに。リュウが死んだ時には叫んでいたアムロは、マチルダの死に胸の中で何度も名前を呟くだけだ。またマチルダを救うために黒い三連星と闘ったとき、はじめて額にフラッシュが光ってニュータイプとしてのひらめきを見せたアムロ。あの一瞬の光がこの先、彼を大きな運命に巻き込んでいく………。
そして三つ目の死はミハルの死。彼女の死はすべてにたいして投げやりに、いいかげんに生きてきたカイを大きく変える。もっともカイのように真剣にならずに戦闘に向かったほうが生き残れるのかもしれない。
上記の3つの死に比べマチルダの婚約者の死はちょっと首をかしげる。ホバークラフトでズゴックに向かっていくのはそりゃあんまり無理でしょう。彼には「マチルダの分まで生きぬいて1台でも多くの船を助ける」という行き方をしてほしかった………

で、次回からはいよいよ私の大好きなスレッガーが出てくる。
実はガンダムのキャラの中で好きなキャラは誰一人としていない。みんなやなやつ(笑)。その中でスレッガーは大人で陽気で前向きで素直でひたむきな人だった。軽く見せかけていたけどいろいろ背負った後での身一つの軽さのようだ。
その彼が恋をする相手がミライさんだというのがいい。ブロンド美人のセイラではなく、太目で地味なしっかりもののミライさん。ミライもいつも冷静なのにスレッガーに対してはかわいらしい反応になってしまう。
キスシーンも多いガンダムだが、スレッガーとミライのキスシーンは心に甘いシーンだ。でもこれは単なる記憶かもしれない。次回のオールナイトでもしかしたら印象がかわるかも………

2003年12月21日

ファーストガンダム3


 ガンダムの真骨頂とも言える回が続くこの中では、すっかり人
 間ができやがったワッケイン、玄田哲生の美声が冴えるスレッ
 ガー、温厚で律儀なニュータイプ・シャリアブル、作画がすばら
 しかったマ・クベ、武人・ドズルなど、大人の男たちが見せる
 魅せる。
 そして死ぬ。

 それにしてもドズルの号令はかっこいいな。
 もちろん、ギレンの「立てよ国民」に表される演説もかっこいいが、矢継ぎ早に飛ぶドズルの命令は、場内にいた男子諸君ならみなそれに従い、モビルスーツ、あるいは船に乗って、ジオンの礎たらんと欲して命をかけてみたいはずだ。だろ?
今回のオールナイトも女子が多い。最終回だから普段より人が入ったかと思ったが意外とそうでもなかった。

この回の中でやはり特筆すべきは「ソロモン攻防戦」。
ドズルが死に、スレッガーが死に、アムロの覚醒が行われるこの回。
前の日記でスレッガーとミライの別れについて書いたがやはりわたしの記憶違いではなかった。ガンダム上、1位であるラブシーンはしっかりと描かれている。

被弾したスレッガー機がホワイトベースへ戻ってくる。スレッガーを気遣い、すぐにでも飛んでいきたいのだが、責任感の強いミライは操舵から離れられず、ちらちらとブライトを見る。ブライトはそれに気づき、戦闘中は禁じられている個人通話でスレッガーのもとへいくことを促す。
「君の気持ちはわかっているつもりだ。だが僕は待つよ………」
ミライは休憩するスレッガーのもとへ行き、無事な姿に涙ぐむ。スレッガーは言う。
「よしましょうや、少尉。うかつですぜ」
そんな涙を見せると自分が勘違いしちゃうよ、と注意するのだが、ミライにとっては勘違いではない。なんと言われても本心なのだ。その涙にスレッガーは「あんたは俺にはまぶしすぎるから」と首を振る。
だが何も言わずただひたむきに自分を見つめる瞳。スレッガーの胸に愛おしさが溢れる。これが少女の勘違いだとしても短い命だ、応えてやりたい。
スレッガーは自分が戻らないことを知っていたのだろうか、その上で少女に夢を見させてやろうとしたのか。彼は母親の形見のリングを預ける。
それで別れのはずだった。
別れられるはずだった。
だが運命は甘い夢を見させてくれた。
爆撃の衝撃で艦が揺れ、ミライはスレッガーの胸に投げ出される。間近に恋した男がいる。目を閉じて仰向いた少女に応えてやれない男がいるものか。
スレッガーはミライを抱き寄せ口付ける。そっと離せば慣性のままミライは壁際に流れた。口付けの甘い余韻に抱かれたまま………。

一方 アムロはドズルの操縦するビグザムを撃破する。ドズルは自動小銃を手に向き身でガンダムに向かって連射する。
「ジオンの栄光、この俺のプライド。やらせはせん、やらせはせん、やらせはせんぞ!」
アニメ史上心に残る名セリフ、やらせはせん三連発。
アムロは象に立ち向かう蟻を見る心境で敵を見下ろす。だがそのときドズルの背後からあふれだす暗い影。それはたちまち悪魔のような姿を取り、アムロを襲う。
前回の予告編で「憎悪」と名づけられてしまったので観客はその正体を知っている。予告で言うべきではなかったかもしれない。

そしてソロモンは落ち、ドズルの妻は嘆き、スレッガーの死を運んできたアムロにミライは泣き崩れる。
「嘘だって………嘘だって言えないのね、アムロ………!」
そんな女性達の涙の中に満を持して流れる挿入歌「おやすみアムロ」。
ちくしょう、そんなに私を泣かせたいか、ガンダム!
この回は観客席からもすすり泣きが少し。
たくさんの人間が、愛が死んだこの回。そして人間の闘いはここで終わる。なぜなら次からはニュータイプの闘いだからだ。

ニュータイプとしての戦闘進行は早い。そして動画も動く動く。
エルメス、ガンダム、ゲルググの三つ巴の闘いがかっこいい。スピーディなアクション、表情、セリフすべてかっこいい。そして満を持して(またかよ)流れる挿入歌「シャアが来る」………いい歌だよ、かっこいいよ。でも会場には笑い声が。爆笑じゃないところが逆に哀れだよね。だってその笑いって「やーん、恥ずかしい」てな感じの笑いだったから。「シャアシャアシャア、シャアが来る~♪」この回は家でひとりで見たほうがよかったかもね。いや、曲はいいんだよね………
進行が異常に早いと思ったら、ガンダムは52話の予定が43話に縮小されて打ちきられたのだった。ニュータイプ覚醒からサビ家の崩壊はもっと書きこまれるはずだったらしい。

閑話休題。 職場の仲良しさんに今度枕くらいの巨大エルメスが販売されると聞いた。ちゃんとビットつきだそうだ。いや、買わないよ。カルピス劇場のフィギュアはともかく、セーラームーンのフィギュアだって相方に白い目で見られているのに、モビルスーツなんか増やしてたまるか。ふ、増やして………ぁぅぅ。
しかしモビルスーツってデザインいいよね。ロボットの革命だよね。大河原さん万歳。学生の頃、アニメと漫画のサークル誌作ってたんだけど、その頃、注目されはじめていた大河原氏にインタビューしたことがある。素人の度胸だね、今考えると。インタビュー場所は「ドムドムバーガー」。大河原氏はアニメ業界に入る前は下着デザイナーだったそうだ。

やがて ガンダムは最終回を迎える。有名な首なしガンダム。愛機をここまで道具として乗りこなした演出が話題。当然なんだけど、今までのロボットアニメはもっとロボットに添ったものだったからさ。首をふっとばされても「たかがメインカメラを壊されたくらい」と言いきるアムロが新鮮だったんだよ。今までは首がなくなったら動かないからね。
全ての機械を捨てて体一つで仲間のもとへ帰るアムロ。
両手を広げて迎える仲間たち。
「僕にはまだ帰れる場所がある。こんなに嬉しいことはない」

やっぱりガンダムはいいなあ。
もう一回オールナイトやったらまた行くだろうな。それがたとえ二十年後でも。

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